杉本昌隆八段は、将棋界において最年少八冠に輝いた藤井聡太さんの師匠です。
杉本八段はプロデビューから30年以上が経ち、最近ではよくテレビにも出演されていますね。
藤井聡太八冠が杉本昌隆八段と出会い、弟子にしてもらったいきさつや、師匠の杉本八段の学歴などについてもリサーチしました。
今回は『杉本昌隆八段の学歴高校大学は?藤井聡太との出会いはいつ?』と題してご紹介していきます。
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杉本昌隆八段の学歴高校大学は?
北〕藤井聡太棋聖就位式。師匠の杉本昌隆八段と。 pic.twitter.com/V2zpqwnHcX
— 朝日新聞将棋取材班 (@asahi_shogi) October 4, 2022
杉本昌隆八段だけでなく、たくさんのプロ棋士の経歴には学歴欄がありません。
杉本昌隆八段の学歴を調べたところ、出身高校や大学の情報は全くありませんでした。ただ名古屋市立桜丘中学校の卒業生ではないか?という情報のみありましたが確証ではありません。
これは、プロ棋士にとって学歴など全く重要ではないからです。
実際、藤井聡太八冠も中高一貫の名古屋大学教育学部附属中学高校へ進みましたが、2021年に高校を中退しています。あと2か月待てば高校の卒業式だったにもかかわらず藤井聡太さんにとって将棋に専念したい気持ちが強く退学を決意したのだそうです。
プロ棋士になるには、幼い頃から抜きんでた才能が、周囲に認められ、小中学生のころには「奨励会」というプロ養成組織に入る必要があります。
とても受験勉強どころではないでしょうし、また学歴という肩書に意味がないのでしょう。
プロ棋士は頭が良いというイメージから、高学歴とつい考えてしまいがちですが、藤井八冠レベルになると学歴そのものが必要のないものなのでしょう。
プロ棋士への道は、非常に狭き門かと思われます。プロ棋士の世界は、頭脳戦であることは間違いないでしょう。藤井八冠の師匠である杉本昌隆八段のIQもかなり高いと思われます。
杉本昌隆八段は実際に、50代で昇級し「中年の星」とまで称されているお人です!
棋士として初の国民栄誉賞を授与された、羽生善治九段は通信制高校卒業ですし、藤井聡太八冠も高校中退なので、日々将棋一筋で精進しないと、トッププロにはなれないのかもしれませんね・・
プロ棋士は勝つことが究極の目標なので、それはまるでトップアスリートのようなのです♪
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杉本昌隆八段と藤井聡太との出会いはいつ?
\今夜スタート!/
藤井聡太六冠しびれた一手
初回は夜11時28分~
毎週火曜夜10時58分#杉本昌隆 八段が、これまでの名勝負を振り返り #藤井聡太 六冠の強さの秘密やその人間性に迫りますhttps://t.co/3fZEXZlDi6#将棋 pic.twitter.com/u5WrqDbuKC— テレビ愛知 (@tv_aichi) April 4, 2023
杉本昌隆八段と藤井聡太少年の出会いは、将棋の東海研修会で、藤井聡太さんが小学1年生の頃でした。
同世代の子供たちの中でも、藤井少年の将棋センスは群を抜いていたそうで、もし将棋の世界でも野球のドラフト制度のようなものがあれば、いろんな棋士から声がかかる逸材だと当時、杉本さんは思ったそうです。
藤井聡太少年はそれまで通っていた、ふみもと将棋教室を卒業し小学4年生の時に杉本師匠のところに弟子入りし、二人の師弟関係が誕生しました。
喫茶店で藤井少年がクリームソーダのクリームを沈めようとして遊んでいたらソーダがあふれそうになり、お母さんではなく杉本昌隆さんが注意したという無邪気な子供らしい藤井少年のようすがうかがえるエピソードもあります。
将棋を指している時以外は子供らしい藤井聡太さん。見るからに優しそうな杉本師匠。杉本さんは師匠として藤井少年の成長をあたたかく見守ってきたのが想像できます。
ちなみに、杉本師匠が藤井少年に初めて負けたのは、藤井少年が弟子入りしてすぐの頃だったそうです。
その後、自分の将棋の指し方に影響されすぎないようにするために対局はせず、他の弟子との対局をみてアドバイスをするという指導方針でした。
従来の将棋にとらわれることなく、自分自身の将棋を指してもらいたいという思いからなのでしょうね ♪
小学校の卒業文集に”将棋界の横綱になりたい”と書いた藤井聡太さんは、師匠も驚くほどのスピードで進化し続け、プロ入りわずか4年9カ月で最高位の九段昇段となりました。
師匠である杉本昌隆さん自身の最終目標が九段だったため、『ずるい(笑)』なんてユーモアを交えて弟子を祝福したそうです。
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杉本昌隆八段の棋歴は?
杉本昌隆さんは、2019年2月22日付で八段に昇段しました。
Cクラスからの復帰昇級者は平成以降初でした。史上4位の年長記録となる50歳で順位戦B級2組昇級を果たしました!
《棋歴等》
1980年 故・板谷進九段門下となる
1990年10月1日 プロ棋士になる
1995年12月5日 通算100勝達成
1999年10月14日 通算200勝達成
2002年5月 第20回朝日オープン将棋選手権 準優勝
2002年12月16日 通算300勝達成
2007年9月7日 通算400勝達成
2008年 前期「NHK将棋講座・杉本昌隆の振り飛車」の講師を務める
2012年~2014年 日本将棋連盟非常勤理事に就任
2014年4月18日 通算500勝達成
2021年~ 日本将棋連盟非常勤理事に再就任
2022年1月28日 通算600勝達成し、将棋栄誉賞を受賞
(速報)#藤井聡太六段、師匠と視線を合わせず…公式戦初「師弟」対決スタート 恩返し14連勝なるか – 産経ニュース https://t.co/WUIBHconf8 @SankeiNews_WESTさんから #藤井聡太 #杉本昌隆 #将棋 #王将戦 pic.twitter.com/BZhN9ik56h
— 産経ニュースWEST (@SankeiNews_WEST) March 8, 2018
2018年3月8日には、杉本昌隆さんと藤井聡太さんの師弟対決が行われました。
結果は弟子の藤井さんが勝利!将棋界では、師匠に弟子が勝利することを「恩返し」と言うそうですよ。
師匠である杉本昌隆さんにとって、この負けはもちろん悔しい気持ちもあるとは思いますが、なによりもやっぱり弟子の成長は嬉しかったことでしょう。
二人は将棋の実力を高めあう存在で、素晴らしい師弟関係なのでしょうね。この恩返し以降、藤井聡太さんは八冠に輝き今も邁進し続けています。
杉本昌隆さんは、愛知県名古屋市にある「杉本昌隆将棋研究室」を主宰しており、初心者から有段者まで、将棋が好きな方なら誰でも参加できる場所を提供しています。杉本昌隆さん自身も指導にあたっていて、将棋の勉強をしている人をサポートしているようです。
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杉本昌隆八段プロフィール
【将棋・藤井七段の師匠が八段に】
将棋の最年少棋士、藤井聡太七段(16)の師匠、杉本昌隆七段(50)が対局に勝ち、「七段昇段後公式戦190勝」の規定を満たして八段に昇段しました。
記事はこちら⇒https://t.co/ioymI2eFty pic.twitter.com/B5UoxkqmM6
— 時事ドットコム(時事通信ニュース) (@jijicom) February 22, 2019
杉本昌隆(すぎもと まさたか)
生年月日:1968年11月13日
出身地:愛知県名古屋市
プロ入り:1990年10月1日(21歳)
段位:八段
棋士番号:197
所属:日本将棋連盟(関西)
師匠:板谷進九段
弟子:藤井聡太、齊藤裕也、室田伊緒、中澤沙耶、今井絢ほか
杉本昌隆将棋研究室を主宰
著作
「弟子・藤井聡太の学び方」「悔しがる力」(PHP研究所)
「将棋・究極の勝ち方・入玉の極意」(マイナビ出版)
他20冊以上執筆
藤井聡太さんの髪型についてはこちらの記事をご覧ください。
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