峯村健司さんは、元朝日新聞社の記者として、多くのスクープをあげたジャーナリストとしても知られています。
峯村健司さんがフリーになる以前は、名前や経歴をご存知なかったという方が多いのではないでしょうか。そんな峯村健司さんの経歴や評判について調べました。
また峯村健司さんは、中国で拘束された経験が20回もあるといいます。本当なのでしょうか。
今回は「峯村健司の経歴や評判は?中国で拘束20回も経験あるって本当?」と題してご紹介します。
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峯村健司の経歴は?LINE追及で注目された人!
峯村健司さんの経歴について調べました。峯村健司さんのスクープであるLINE追及についても、合わせてご紹介します。
峯村健司さんは、1997年に朝日新聞社に入社しました。入社後は、大津支局、広島支局、大阪本社社会部などで勤務したそうです。
2005〜2006年の間には、中華人民大学に留学。派遣される前の準備だったのでしょうか、翌年2007年には特派員として北京に赴任しています。
2013年までの6年間、中国全土で取材を行ったそうです。
2015〜2018年には、アメリカ総局員(ワシントン特派員)として活動していました。
2021年に「LINEの個人情報管理問題のスクープと関連報道」で日本新聞協会賞を受賞!
これが、いわゆるLINE追及です。
LINE追及とは・・・
無料通信アプリを運営する「LINE」が、利用者に十分な説明をしないまま、中国の関連会社から個人情報が閲覧できる状態にしていたことを報じたものです。
更に、利用者が投稿した画像や動画データを韓国内のサーバーに保存していたこともスクープ。
「朝日の良心」と私が勝手に呼んでいる峯村健司編集委員による「LINEスクープ」が新聞協会賞を受賞されました。社の受賞となっていますが、峯村さんと彼のチームの受賞と私は思っています。峯村さん、おめでとうございます。公益に資する調査報道をありがとうございました。https://t.co/ghAv0PuBmf
— 有本 香 Kaori Arimoto (@arimoto_kaori) October 6, 2021
峯村健司さんは「LINE」のずさんな運営の実態を暴きました!
一連の報道を受け、国や自治体が対応を迫られるなど、行政にも大きな影響を与えました。
その後、峯村さんは2022年4月に朝日新聞社を退職し、現在は青山学院客員教授、北海道大学公共政策学研究センター上席研究員、一橋大学大学院非常勤講師に就任しています。
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峯村健司は中国で20回以上も拘束された?
この後登場
#峯村健司 さん @kenji_minemura元朝日新聞編集委員 北京・ワシントンで計9年特派員
「LINEの個人情報管理問題のスクープ」で21年度新聞協会賞受賞
近著に「潜入中国 厳戒現場に迫った特派員の2000日」#cozy1242 #radiko #radio @zoom1242
#ニュース pic.twitter.com/um9NBDQWRV— ニッポン放送 飯田浩司のOK! Cozy up! (@cozy1242) May 22, 2022
峯村健司さんは、2007年に北京に特派員(新聞、雑誌、放送などの期間から外国に派遣され、報道にあたる記者のこと)として赴任します。
特派員として勤務した6年間で、短時間のものも含めると、20回以上も中国当局に拘束された経験があるそうです。
拘束されるたびに恐怖を感じ、取調べ中には足の震えが止まらなかったこともあったとか。釈放後に、不眠に悩まされることも多かったそうです。
外国、それも中国で拘束されて取調べを受ける。想像するだけで、怖くなります。峯村健司さんは、どうして拘束される危険を冒してまで、取材をしたのでしょうか。
峯村健司さんは、北京への赴任後、中国の官製メディアの記事を翻訳し、記事を書くことに疑問を感じていたそうです。
どうにか独自の報道ができないか、それを模索していました。
中国では、日本とは比べものにならないほど、厳しい情報管理と報道規制がなされており、取材にも応じてもらえない状況だったとか。
その結果、”インターネット上の情報を元に、中国全土どこへでも出かけて行き取材をする” というスタンスになったそうです。
軍事関連、北朝鮮との国境、サイバー攻撃の発信源などの噂がある場所は、どこも中国当局が神経を尖らせる場所ばかり。
峯村さんは、そういったところで取材を続け、スクープもあったものの拘束されてしまうことが増えたようです。
反スパイ法の名のもと、あらゆる事象で逮捕や拘束されやすくなった今では峯村さんも一旦拘束されてしまえば釈放してもらうのは難しいかもしれませんね。
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峯村健司の評判&プロフィール
峯村健司さんの評判とプロフィールについてご紹介します。
峯村 健司(みねむら けんじ)
♦ 生年月日:1974年8月21日
♦ 出身:長野県
♦ 学歴:青山学院大学国際政治経済学部国際政治学科卒業
♦ 職業:ジャーナリスト、元朝日新聞編集委員、外交・米中関係・安全保障の専門家、青山学院大学客員教授
♦ 受賞歴
2011年 ボーン上田記念国際記者賞
2021年 日本新聞協会賞
峯村健司さんは、1974年に長野県で生まれました。東京都立青山高等学校、青山学院大学国際政治経済学部国際政治学科を卒業しています。
東京都立青山高等学校は、東京都渋谷区にある都立高校です。現在の偏差値は、71となっています。
「国公立大学を目指す進学校」を目標に、大学を視野に入れた質の高い授業を行っているのが特徴の学校です。
青山学院大学は、東京都に本部を置く私立大学で、通称「青学」。
原 晋監督率いる青学の陸上競技部は箱根駅伝でも有名ですよね。峯村健司さんが通っていた国際政治経済学部の現偏差値は、62.5〜65となっています。
そんな峯村健司さんの評判は、どうなのでしょうか。
中国で20回以上も拘束されながらも、報道し続ける姿勢を評価する声がある一方で、安倍元首相とかなり親密な関係であることから、批判的な意見も多くみられました。
実際に、安倍元首相が他雑誌のインタビューを受けた際、公表前のその原稿を見せるように迫ったことから停職処分になり、退職することになったようです。
その一方で、峯村さんを擁護する投稿もみられます。
峯村健司記者がどれほど朝日新聞の声価を高めたか。時分のところの社論と違う記者を「いつか、やってやろう」と虎視眈々と狙っていたと思う。ちなみに、峯村氏の転職先にわざわざ停職処分となったことを通告したそうだが、この行為は労働基準法22条4項に「労働者の就業を妨げることを目的として、
— 三枝 玄太郎 (@SaigusaGentaro) April 7, 2022
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峯村健司の経歴や評判 まとめ
現在は、朝日新聞社を退社し、様々な大学、大学院の教職を務める峯村健司さん。
ある意味、強引な手法で様々なスクープをあげてきた一方、中国当局からの拘束が20回以上と衝撃的な経歴の持ち主であることがわかりました。拘束から解放されてよかったですね。
従来の朝日新聞社の社説や切り口とは反対の考えのように思える峯村健司さんは、防衛問題の本質についても遠慮ないものいいでした。
朝日新聞社を去った今、峯村健司さんがどのような活動をしていくのか、注目したいですね。
峯村さんは中国の内情に詳しいジャーナリストですが、中国研究の第一人者、興梠一郎さんについてはこちらで紹介しています。
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