原晋監督の経歴は?中国電力伝説の営業マン?妻との馴れ初めも!

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箱根駅伝から遠ざかっていた青山学院大学を優勝まで導いた原晋監督。その手腕は、伝説の営業マン時代からのものでした。

コメンテーターだけでなく、最近ではCMにも起用され一流の指導者として認められた原晋監督の経歴や妻の美穂さんとの馴れ初めも気になります。

今回は『原晋監督の経歴は?中国電力伝説の営業マン?妻との馴れ初めも!』と題してご紹介します。

 

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原晋監督は伝説の営業マンだった?

 

原晋監督はもともと運動神経抜群で野球や相撲もやっていたそうですが、小学2年生の頃、漁港で遊んでいる時に足を複雑骨折してしまい、長期にわたる入院をしたとのことです。

このことがきっかけで、リハビリを兼ねて、町内をジョギングし始めました。これが原晋監督と陸上競技との出会いだったのかもしれません。雨の日でも休まずに毎日走る意志の強い少年だったそうです。

 

兄の影響もあり、陸上選手に目覚めた原さんは、中学1年生から3年までのマラソン大会で、なんと毎年学校内1位!高校は広島県立世羅高校へ進学します。世羅高校は駅伝が強いことでも有名な名門高校ですよね。

当時は先輩後輩の関係が厳しく、原さんにとっては変なルールが多すぎると感じていたそうです。3年になり主将を務めることになり変なルールやしごきは一掃したといいます。その頃から、通り一遍ではない斬新な考えをもった学生だったようです。

そんなすごい名門高校で原さんは主将を務め、全国高校駅伝では総合2位となりました!優勝を逃し悔しかったでしょうね。ちなみに優勝校は兵庫の報徳学園でした。

 

原晋監督は世羅高校から愛知県にある中京大学へ進みます。なんと箱根駅伝に全く関係ない大学で驚きました。原晋監督が中京大学を選んだ理由は、世羅高校のOBが監督を務めていたからのようです。

高校時代の厳しかった練習から一転、その反動なのか大学生活を謳歌するかのように、麻雀やパチンコ、ナンパにコンパ、お酒と遊んでいたといいます。

原晋監督は1989年、中京大学を卒業後、希望していた実業団には入社できず、中国電力に就職します。

当時、中国電力には陸上競技部はなく、陸上競技部を作る第1期生としてスタートしたにもかかわらず、1993年には全日本実業団駅伝に初出場するまでのチームに貢献することとなります。この頃から、原監督の手腕が発揮され始めていました。

ですが故障が多かった原監督は、27歳の頃には陸上部をクビになってしまいました。一般社員となった原監督が配属されたのは支店ではなく、その下の営業所でした。

ここから原監督は営業マンとしての実力を発揮させます。まず、企業用で約1000万円もする省エネ空調設備『エコアイス』を売りまくりました!原さん独自の企画書で企業にアピールしたそうです。

原監督はついに、中国電力社内で売上1番の営業マンにまで登りつめ、評価を上げることに!

中国電力で10年間、サラリーマン生活を送った中で、最後の3年間は新規事業を立ち上げ会社に貢献します。当初、社員5名で始めた新規事業の部署は現在、120人もの部署にまで成長しているといいます。晋監督自らも『伝説の営業マン』と自負しておられるようですね。

学生時代からリーダーになる事が多かった原さんですが、人材の育成やマネージメント力に優れていたのでしょう。

この間、中国電力陸上競技部は実業団トップチームの仲間入りを果たしていましたが、なんと原監督は陸上とは関わりのない中で、売り上げトップの営業マンとなりサラリーマンとして10年間過ごすことになったのです。

奥様の美穂さんとの馴れ初めについてみてみましょう。

 

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原晋監督と妻との馴れ初めは?

 

 

原晋監督と妻美穂さんが出会ったのは、原晋監督が中国電力の営業マンをしていた頃で、美穂さんは証券会社で働いていたそうです。

とってもバブリーなお話ですが、船上パーティーで知り合った女性に好意を寄せていた原さんが、その女性に電話をすると、たまたま電話に出たのが美穂さんだったそうです。

原監督は好意を寄せている女性だと思い込み、一方的に話していたそう。笑

そして美穂さんから、人違いであることを告げられた原晋監督は驚きつつも、「今度、映画でも行こう」と誘ったのです。

原晋監督は「3ヶ月ぐらいで結婚しよう」と決めていたらしく、交際1年足らずで結婚の運びとなりました。お二人は原晋監督が陸上競技をやめた後に知り合ったため、美穂さんは陸上をしていた事は全く知らなかったそうです。寮母として大変な生活が待っているとは、夢にも思っていない頃ですね。

サラリーマン生活が10年ほどたった頃、青山学院大学OBだった原さんの高校の後輩から青学大の監督就任の誘いがありました。

原監督がサラリーマン時代に学んだのが、目標をクリアする喜びでした。新たな目標を掲げた原さんは安定した生活を捨て、最初は嘱託職員の契約で陸上部の監督就任にチャレンジします。

中国電力を退社し、広島に買ったばかりの家とローンを残してまでも美穂さんについてきてほしいと説得したといいます。

青山学院大学に自らプレゼンしたその中身は「箱根駅伝に5年で出場、7年でシード、10年で優勝争い」だったそうです。

その宣言どおり、目標をクリアした伝説の営業マンだった原監督の手腕はすごすぎます。と言っても妻の美穂さんなしでは叶えられなかったことでしょう。このご夫婦だからこそ、毎年、有力選手も集まってくれるのでしょうね。

 

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原晋監督プロフィール

元中国電力の伝説の営業マンだった原晋監督のプロフィールをみてみましょう。

 

原晋監督は日本の陸上競技指導者(駅伝競走・長距離走・マラソン)であると同時に、大学教員、スポーツ解説、コメンテーター、タレントとしてテレビやラジオ番組等で積極的に活動しています。

2004年から青山学院大学陸上競技部監督に就任し、就任5年目となる2009年に箱根駅伝出場に導くと、その後は箱根駅伝4連覇を含む、6回の総合優勝を果たすなど、その手腕には周囲も驚くばかりです。

原さん自身がメディアに出続けることによって、マイナースポーツと言われる駅伝やマラソンに関心を持ってもらう原監督なりの戦略なのでしょうか。

 

原晋監督プロフィール

本名:原 晋(はら すすむ)
♦ 生年月日:1967年3月8日
♦ 出身地:広島県三原市
♦ 身長:176cm
♦ 体重:81kg
♦ 青山学院大学陸上部監督(2004年4月~)
♦ 配偶者:青山学院大学寮母、原 美穂
♦ モットー:出過ぎた杭は打たれない

 

 

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原晋監督まとめ

『原晋監督の経歴は?中国電力伝説の営業マン?妻美穂さんとの馴れ初めも!』と題してご紹介してきましたがいかがでしたか?

原晋監督ご夫妻は凄いですよね。青山学院大学の監督に就任して、廃部にまでなりそうなところからの箱根駅伝6回の総合優勝三大駅伝三冠を達成する常勝チームを作った指導力・育成・チームマネージメント力には脱帽です。

原監督がサラリーマン時代に学んだのが、目標をクリアする喜びでした。何かを確たるものにするにはただ努力するだけでなく手に届く位の目標をたて次々と達成していった原晋監督。

何よりも妻の美穂さんとの信頼関係あってのことですね。寮母でもある美穂さんなしでは今の原晋監督の実績を築くことはできなかったでしょう。お二人にはお子さんはいませんが、大勢の選手たちを育て上げてこられました。

青山学院大学では、2024年の箱根駅伝100回大会に向けて、既に1月4日からミーティングで意識づけ から練習を開始しているそう。100回大会では、リベンジ精神で総合優勝を勝ち取ってもらいたいですね。 

追記:第100回箱根駅伝では、みごと2年ぶりに青山学院大学が総合優勝を勝ち取りました!今後は駒澤大学との優勝争いが注目をあびそうです

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