小園健太の年俸は?中学高校時代の成績や松川虎生との出会いはいつ?

スポーツ


小園健太投手
は高校ナンバーワンと言われた本格派右腕の選手だけあって、ドラフト1位指名で横浜ベイスターズに入団しました!

1年目は残念ながら活躍できませんでしたが年俸はいくらになったのでしょう?

中学高校時代の成績やバッテリーを組んでいた松川虎生との出会いはいつだったのかも気になります。

今回は「小園健太の年俸は?中学高校時代の成績や松川虎生との出会いはいつ?」と題して小園健太投手にスポットを当て紹介します。

 

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小園健太の年俸や中学高校時代の成績は?

 

 

小園健太投手の年俸推移

市立和歌山高校出身の小園健太投手はドラフト会議で横浜ベイスターズから1位指名されました。ルーキーの1年目は体力づくりに励み、1軍での活躍はできませんでした。ルーキーとしては高額年俸の1320万円から少しだけダウンし、2023年の年俸は1200万円でした。

2年目の2023年はイースタン・リーグで17試合に登板し2勝5敗、防御率は4・21でした。2024年は290万円ダウンとなり年俸は910万円でサイン。

1軍の戦力にはなれませんでしたが、2軍の先発ローテに入り活躍しました。2024年は1軍での活躍が期待されます!

小園健太の中学時代の成績は?

小園健太投手は大阪府貝塚市の出身で小学校は貝塚市立中央小学校に通学。野球は小学校1年生の時から始めていて、クラブチーム「R.I.C.A」の所属でした。

中学校は貝塚市立第一中学校でしたが野球は硬式野球のクラブチーム「貝塚ヤング」に所属していました。

「貝塚ヤング」で小園健太投手は中学3年生の夏の「ヤングリーグ日本選手権」でみごと優勝

ほぼ全国から集まった32のクラブチームの接戦を制し初優勝を果たしました。初優勝を果たした「貝塚ヤング」の時のエースが小園健太投手です。

 

引用元:https://www.bbm-japan.com/article/detail/1128

 

貝塚ヤングの監督川端末吉氏は、有名人の父親!
2015年ヤクルトが優勝した年に.336で首位打者に輝いている川端慎吾選手の父親だそうです。

小園健太投手は倉敷国際少年野球大会大阪選抜チームのメンバーにも選ばれています。

 

 

小園健太の高校時代の成績は?

小園健太投手は中学時代からの注目選手で20校近くの高校から誘いがあったと言われていますが公立の和歌山市立和歌山高等学校に進学しました。バッテリーを組んでいた松川選手の誘いに応え、公立高校で勝負したのです。

高校の野球部では1年生の春からベンチ入りし2年秋からはエースとして活躍しています。

 

高校1年

1年生の春のベンチ入りだった年に和歌山県大会の智弁和歌山高校戦で2回無失点の好投を見せるなど3試合に出場!

また夏の県大会では3試合にリリーフ登板し3回戦では4回を投げ1年生ながら140キロ台の球を投げ失点1に抑えました。すげー。

ただ準々決勝の南部高校戦には9回に登板して失点し追いついた直後とはいえ試合は負けてしまい苦い経験をしたことがあります。

 

その後フォーム固めをするために体幹トレーニングをするなど身体づくりに励んだようです。その効果があったのか2年生の夏、大阪桐蔭高校の練習試合でな・なんと152キロの剛速球を投げ込んでいます。

高校2年

2年生の夏の大会では甲子園に出場するため満を持して投球しましたが残念ながら3回戦で智弁和歌山に敗れ甲子園出場の夢はかなわず(>_<)

なお小園健太投手自身は4回1失点の好投を披露しています。

そして秋の県大会で天敵といわれる智弁和歌山高校との戦いで9回4失点で完投勝利をもぎ取り続く和歌山東高校との決勝の舞台ではリリーフながら無失点の活躍で和歌山県大会を制したのです。

近畿大会にコマを進め1回戦は東播磨高校で11個三振の好投を見せ9回完投しています。

センバツに出場の切符がかかった準々決勝で宿敵智弁和歌山と対戦!
4安打完封勝利し甲子園出場を引き寄せました。

 

3年春の甲子園第93回センバツに出場した小園健太投手は1回戦で県立岐阜商と対戦。
9回を4安打8奪三振無失点に抑えサヨナラ完封勝利を収めました!

 

センバツ2回戦の明豊戦では5回表からリリーフ登板するも同点の7回表に決勝打を浴び残念ながら敗戦となってしまいました(>_<)

そして最後の甲子園のチャンス(2021年夏)の和歌山県大会では決勝にコマを進めたものの、宿敵智弁和歌山を前に4失点し惜しくも夏の甲子園には出場することができませんでした。

その難敵智弁和歌山が2021年夏の甲子園大会でみごと優勝したのは記憶に新しいところですね。智弁和歌山の監督・中谷仁さんが全国制覇までの最大のポイントとなった試合は「和歌山県大会の市立若山高校との決勝戦・小園松川バッテリーとの戦い」であり、一番しんどかった試合と振り返っています。

智弁和歌山が夏の甲子園大会で全国制覇したのも、県大会で市立和歌山高校の最強バッテリーに打ち勝った納得の結果ですね。

 

 

小園健太投手の持ち味は?

球速に注目されがちですが、小園投手の持ち味はそれだけではありません。

小園投手自身が、

自分自身のピッチングスタイルは変化球の多彩さであったりとか、どういう球種でもストライクをとれるところ!ピッチングのうまさをみてほしい。

引用:よみうりテレビ「す・またん」

とコメントしています。実に頼もしい~ ♪

変化球が多彩なのももちろん魅力ですが、なんといってもストレートをもっと磨いてこれぞ小園という剛速球を生み出してもらいたいですね!

小園投手はプロ野球選手になって長い間活躍することを目標にしているそうですがファンもそう願っていますよ。

1年目は、体力づくり中心でしたが2年目が勝負の年です!焦る必要はないものの松川選手とともに活躍してほしいですよね。その松川選手との出会いについてみてみましょう。

 

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小園健太と松川虎生との出会いはいつ?

 

小園健太投手と中学時代からバッテリーを組んでいたのが高校生スラッガー松川虎生(こう)捕手!高校通算43本塁打を誇る強打者のキャッチャーで、ロッテ球団から1位指名されました!おめでとー!

松川虎生捕手は大阪の阪南市立東鳥取小学校の1年生で軟式野球を始めました。阪南市立鳥取東中学校でしたが野球は小園健太投手と同じ「貝塚ヤング」に所属していたのです。

小園健太投手と松川虎生捕手は中学バッテリーを組む親友になります。ついに最強バッテリーの誕生です!

小園健太投手が数多くの強豪高校から誘いがあったにもかかわらず公立の市立和歌山高校へ進学したというのも、バッテリーを組んでいた松川虎生捕手からの誘いで決断したことでした。小園健太投手と松川虎生捕手には深い絆があったのです!

松川虎生捕手は2003年生まれですが虎生(こう)という名前は2003年に阪神タイガースがリーグ優勝にちなんで名付けられたそう。

松川虎生捕手の祖父が大の阪神ファンだったとか。松川選手の名前について、詳しくはこちらの記事で紹介しています。

 

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小園健太 まとめ

小園健太投手は中学時代、クラブチーム「貝塚ヤング」で活躍し、3年生の夏「ヤングリーグ日本選手権」で優勝しています。

小園健太投手は数多くの強豪高校からの誘いを断り、市立和歌山高校に進学し、3年で春のセンバツに出場しました。残念ながら2回戦で明豊に敗れてしまいましたが小園健太投手は152キロの速球を投げ込む逸材です。

ドラフト会議で横浜ベイスターズから1位指名で入団しましたが、1年目の年俸1320万円から2023年は少しだけダウンの1200万円で契約を更改しました。

小園健太投手はストレートの腕の振りやコントロールが良く、完成度の高い投手です!2年目は是非1軍で投げてほしいですね。

ロッテから1位指名された松川虎生捕手とは「貝塚ヤング」で一緒になり中学生から最強バッテリーを組む間柄です。市立和歌山高校に進学したのも松川虎生捕手とのバッテリーで甲子園を目指すためだったのです。

1年目は松川捕手の活躍が目立ちましたが、両選手の2年目の活躍に期待しましょう!

 

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