栗山英樹現役時代の経歴とは?引退理由や結婚歴についても調査!

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WBC2023では選手たちを信じ、万全の采配をみせた日本代表監督、栗山英樹さん。現役時代は、どんな選手だったのでしょうか?投手の経験もある栗山さんの経歴が気になります。

また、栗山英樹さんの現役引退理由は何だったのでしょう。また栗山さんは現在、独身らしいのですが結婚歴についても調べてみました。

今回は『栗山英樹現役時代の経歴とは?引退理由や結婚歴についても調査!』と題してご紹介します!

 

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栗山英樹監督の現役時代の経歴は?

 

栗山英樹さんは、野球の強豪校である創価高校に投手としてスカウトされました。

また、東京学芸大学在学中に小・中・高の教員免許を取得し卒業後は教員を目指していたそうです。栗山さんが先生になっていたらきっと生徒の気持ちになって考えてくれる熱血漢になっていたでしょうね。

大学時代の野球成績は、投手として25勝8敗。通算打率.389 なんとエースで4番だったそうです。といっても、東京六大学でもなく、東都大学野球でもなかった「東京新大学野球」での成績でした。

当時、東京新大学野球連盟からプロになれる選手は皆無だったらしいです。栗山さんは、野球ではエリートコースではなかった選手でした。

 

東京学芸大学在学中は、奨学金とバイトで何とかやりくりしていたらしく、頭のいい栗山さんは数学の家庭教師をしていたこともあったそうです。

スライダーを投げた際に右肘を痛めた栗山さんは、野球をあきらめることができず、野手に転向しました。そして教員になることを辞め、社会人野球のできる朝日生命から内定をもらいます。その後、プロチームの入団テストを受けるとヤクルトスワローズへドラフトで入団することができました!

ついに、栗山英樹プロ野球選手の誕生です。年俸は360万円!栗山さんにとっては大金でした。朝日生命さんには、迷惑をかけてしまいましたが喜んでくれていたかもしれないですね。

入団した当時は、プロのあまりのレベルの高さに強い衝撃を受け、自身の力不足を痛感し野球を辞めることばかり考えていたといいます。

当時の2軍監督が内藤博文さんという巨人初のドラフト外で入団した経験を持つ監督さんでした。栗山さんと同じ立場だったこともあり、練習にもよく付き合ってくれていたそうです。

栗山さんの可能性を信じてくれた内藤さんに感謝ですね。選手たちを信じ切る栗山さんの気持ちの根底には、この頃の体験があったからかもしれませんね。

「人と比べるなよ。」という内藤さんの忠告で、ふっきれた栗山さんはがむしゃらに練習するうち、一軍に呼ばれるようになり入団翌年の1984年、ヤクルトスワローズで遊撃手(ショート)として一軍デビューを果たします!

その後、外野手に転向します。足が速かったので、守備範囲も広く、ダイビングキャッチでの球際の強さが最大のアピールポイントでした。

栗山英樹さんの現役時代は一流という成績は残せていませんが、1989年は外野手でゴールデングラブ賞を獲得するほどになっていました。ではなぜ早々と引退することになったのでしょうか?

栗山さんが引退した理由についてみてみます。

 

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栗山英樹が現役引退した理由とは?

 

 

栗山英樹さんが現役引退した理由、それはメニエール病が原因のようです。現役2年目から突然目まいや立ちくらみに悩まされていたようです。

メニエール病とは、平衡感覚が狂う三半規管の難病です。普通の生活でもかなり辛いといいますし、プロ野球選手にとって平衡感覚が狂ってしまうというのは致命的だったことでしょう。守っている時に突然身体が浮くような感じになったそうです。

オフには治療に専念するために、長期入院をしたりしながら、わざと三半規管を麻痺させるという治療を受け、一時的に症状を抑えていたようです。

病と闘いながら3年目にはレギュラーに定着!打率3割を2度マークし、ゴールデングラブ賞を獲得するもメニエール病の症状が再発します。だましだまししながらプレーしていた栗山さんでしたが、右肘故障の再発も重なり、成績を出すことができずにいました。

特別な才能に恵まれているわけではない自分が、120%の努力をすることがプロの野球選手としてやっていくための最低条件であると栗山さんは考えていました。

それができなくなってしまった以上、プロ選手を続けられないと考え、7年という短い現役でしたが栗山英樹さんは、29歳で現役を引退しました。潔すぎます!

 

 

大好きな野球で成功しなかったことがいまだにコンプレックスとなっているという栗山さんですが、監督に就かれてその能力を十分に発揮してくださっていますよね!

常にチームの組織論を学ぶのに時間を割きすぎて結婚の機会を逃してしまったのでしょうか・・・還暦すぎには全然見えない若々しい栗山さんの結婚歴についてみてみましょう。

 

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栗山英樹の結婚歴&プロフィール

栗山英樹さんの結婚歴については、意外ですが現在も独身で、結婚歴もありません。驚きです。

若い頃の栗山英樹さんはルックスもよくかなりモテたそうです。確かにカッコ良かったです。いや、今もです。

では、そもそも栗山英樹さんには結婚願望がないのでしょうか?

以前ファンから、結婚しないのかという質問に対し、「それどころではない。選手を預かっている身としてその間は考えていない!」と答えたとか。

監督を引き受けた栗山さんの覚悟と生真面目さが伝わってくることばですね ♪

 

 

栗山英樹プロフィール

栗山英樹(くりやま ひでき)
出身地:東京都小平市
生年月日:1961年4月26日
身長:174 cm
体重:72 kg
出身校:創価高校→東京学芸大学
教員免許:小学校&中高の体育
《選手時代》
ヤクルトスワローズ (1984 – 1990)
投球・打席:右投両打
ポジション:外野手
プロ入り:1983年 ドラフト外
《監督時代》
北海道日本ハムファイターズ (2012 – 2021)
WBC背番号は「89」

 

現役引退後の栗山英樹さんは、野球解説者スポーツキャスターとして活躍していました。確かに、スポーツキャスターとしての印象が強かったです。

1999年、同じ名前がきっかけで北海道栗山町の観光大使に就任した栗山さんは、栗山町に住むこととなります。

移住してから、映画「フィールド・オブ・ドリームス」のような天然芝の野球場を作りたいと、練習場『栗の樹ファーム』自腹で作ります。

 

栗の樹ファーム球場現在は、休止中ですが当時、少年野球教室や大会を開くなど栗山町に貢献し、地域に愛されて続けている栗山さんです。

WBCでの偉業をなしとげた栗山さんの野球を愛する気持ちは、栗山町での生活が支えになっていたのかもしれませんね。

野球場に隣接するログハウスには、栗山さんが収集した日米名選手のお宝グッズが展示されています!栗山さんの野球愛があふれていそうですね。

栗山町では、いつもジャージに長靴と軽トラスタイルの栗山さん!町民の皆さんとの距離が近いというより、完全に栗山町民です。

 

2011年、栗山英樹さんは北海道日本ハムファイターズの監督に就任し、シーズン1年目(2012年)に、リーグ優勝を成し遂げます。

2013年のドラフト会議で日ハムがあの大谷翔平選手をドラフト1位で指名し、栗山さんをはじめとする日ハム球団の熱意で獲得に至ります!その翌年から3年連続でクライマックスシリーズに進出することができました。今から思えば、大谷選手の実力は、この時から証明されていたようですね。

当時、批判の声が多かった『二刀流』を見事実現させた監督でもあり、栗山監督でなかったら、二刀流大谷投手は誕生していなかったでしょう。

栗山さんは北海道日本ハムファイターズの監督を10年間務め、2016年には念願の日本一を果たしました!

監督就任後の日ハム10年間の成績は、日本一1回、リーグ優勝1回、クライマックスシリーズ3回、Bクラス5回というものでした。

 

そして栗山英樹さんは、2021年に北海道日本ハムファイターズの監督を退任します。

現在は北海道日本ハムファイターズプロフェッサーに就任している栗山さん。

プロフェッサーとは、選手へ定期的に講義を行ったり『野球人としての人間形成をつかさどる役割』を担っているそうです。組織論を常に勉強しているとか。

亡き野村克也さんの教え「組織はトップの器以上には大きくならない。」つまり、トップの力量で組織力が左右されるというのです。栗山監督の学んでいる組織論は奥が深そうですね。未来の野球界を担うキーマンとして教え子たちとともに頑張ってほしいです!

日ハムの新球場エスコンフィールドはこちらをご覧ください。

 

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さいごに

『栗山英樹現役時代の経歴とは?引退理由や結婚歴についても調査!』と題してご紹介してきましたがいかがでしたか?

現役時代はメニエール病に苦しみ7年という短い現役生活に幕を降ろした栗山英樹さんでした。

ですが、監督という指導者になられて常に野球を通して選手たちを栗山英樹監督なりの考え方で指導されてきました。

そして現在も独身の栗山英樹さんですが、WBC監督を退いた後、素敵なパートナーがみつかるかもしれませんね⁈

 

 

 

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