鍵山優真のコーチ父親もスケーター?鍵山正和オリンピアの経歴も!

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次々と現れる層の厚い日本男子フィギュアスケート界!北京五輪で銀メダリストに輝いた鍵山優真選手に注目が集まっています。なんと父親もスケーターといいます!

鍵山優真選手のコーチでもあるパパチこと鍵山正和さんは過去2度出場したことのあるオリンピアですが戦績はどうだったのでしょうか?気になる親子オリンピアを調べてみました。

今回は「鍵山優真のコーチ父親もスケーター?鍵山正和オリンピアの経歴も!」と題してご紹介します。

 

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鍵山優真の父親鍵山正和もスケーター?

 

 

鍵山優真選手はフィギュア男子シングルで日本最年少のメダリスト!

鍵山優真選手のコーチでもある父親もスケーターというサラブレッドスケーターなのです。

北京五輪のシングルSPで自己ベストを大きく更新した「ゆまち」こと鍵山優真選手!コーチは優真選手の父親である鍵山正和さんに加え、ソチ五輪銅メダリストで欧州女王に5度輝いたカロリナ・コストナーさんを迎えています。

父親の鍵山正和さんは元男子フィギュアスケート選手で1992年アルベールビルオリンピック&1994年リレハンメルオリンピック男子シングル日本代表だった方です。

二度もオリンピックに出場とは凄いことですよね。

優真選手がスケートを始めるきっかけになった父・正和さんは、現役引退後、プロへ転向し数か所のアイススケート場にてインストラクターとして所属したあと現在は優真選手のコーチを務めています。

母親はスケーター?と調べてみたところ、中々情報がなく不明です。

佐野稔氏が仲人を務めたことはわかっています。佐野氏といえばご存じの方も多いでしょう。元フィギュアスケート選手で1976年のインスブルックオリンピック男子シングル日本代表でした

テレビの解説でもなじみある方ですよね。佐野氏が仲人を務めるということは正和さんの結婚相手もフィギュアスケート関係の方ではないかと想像します。

その後、優真選手の母親と正和さんとは離婚(>_<)

シングルファーザーとして優真選手を育てながら、優真選手が5歳の時にフィギュアスケートを始めさせました。

そのころには母親は一緒だったのかは不明ですが息子にスケートを続けさせオリンピック代表選手にまで育て上げるとは父親、正和さんの気持ちを察するに余りあります。

 

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父親鍵山正和オリンピアのスケート歴は?

鍵山優真選手の父親である正和さんは16歳で全日本フィギュアスケートジュニア選手権で一位を獲得した記録からおそらく幼少期からフィギュアスケートを始めていたのではと推察します。というのも、

一般的にフィギュアスケート選手でトップクラスを目指すには小学校に上がる前くらいからリンクで滑りを経験していることが多いそう。

全日本フィギュアスケート選手権の出場資格は13~19歳でバッチテスト6級以上保有など条件をクリアしていないと出場資格はありません。

 

 

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鍵山正和の戦績&プロフィール

鍵山正和さんの主な戦績です。

  • 全日本フィギュアスケートジュニア選手権1987/1988年・1988/1989年と2年連続1位!
  • 世界ジュニアフィギュアスケート選手権1989年銅メダル
  • 全日本フィギュアスケート選手権1989/1990年2位
    1990/1991年~1992/1993年と3回連続優勝!
    翌1993/1994年2位
  • ユニバーシアードフィギュアスケート競技1993年銅メダル
  • 世界フィギュアスケート選手権4回目出場の1993/1994年最高位の6位
  • NHK杯国際フィギュアスケート競技大会1989/1990年~1993/1994年の5回出場中4位2回
  • そして1992年1994年オリンピック出場!
    メダルには届かず13位、12位に終わります。

 

鍵山正和さんは当時の男子フィギュア界をけん引してきた選手です。

この時代は伊藤みどり選手、八木沼純子選手、佐藤有香選手など女子フィギュア勢の活躍が目覚ましい頃だったので男子は地味だったのかも。。。

伊藤みどりさんの偉業はレジェンド級ですからそう映るのも仕方ないですかね⁈

しかし、正和さんは「猫足着氷」と表されるスケーティング技術もさることながら容姿もイケメンですからファンは沢山いました。

 

鍵山正和さんは1971年4月12日生まれで愛知工業大学名電高校卒業し、愛知工業大学を中退しています。

愛知といえばフィギュア王国として知られている所ですね!浅田真央選手、宇野昌磨選手をはじめフィギュア界トップの選手を輩出し続けています。

その理由の一つが愛知にはスケートリンクの多さがあり、またリンク直属のクラブが殆どないため選手はリンクのハシゴができるそうです。

ほかにもリンクサイドに保護者が立てるなど選手のレベルが高くなる要因がうまく作用しているとか。そうした環境が正和さんを一流選手へと成長させた要因なのかもしれません。

正和さんは現役引退後プロへ転向します。23歳の時でした。1994~2005年日本初のアイスショー「プリンスアイスワールド」に出演し、その後富山、軽井沢、横浜でインストラクターとして活躍され現在は優真選手のコーチです。

2018年、正和さんが47歳の時、脳出血で倒れ半年の入院を余儀なくされました。

優真選手は中学3年生でした。家事を始め優真選手のサポートを全て担っていた正和さんと半年離れての生活はその後のお互いの絆を強くしたそうです。まさに親子二人三脚でオリンピック代表を勝ち取りました!素晴らしい!

鍵山正和さんの「猫足着氷」のインタビュー記事の一部です↓

猫足着氷は「正直なところ生まれ持ったもの」。

 この猫足着氷は、やはり遺伝なのか? 正和氏にそう尋ねると、ちょっと声をひそめて答えた。

「理想的な膝ですよね。膝の柔らかさに関しては、正直なところ生まれ持ったもの。他の選手達には大きな声ではいえないけれど、こればかりはね……。でも膝に負担をかけないようにするため、トレーニングは意識していました」

 遺伝の要素を認めつつも、正和氏は膝の使い方やトレーニングをかなり詳細に説明してくれた。

【引用元】https://number.bunshun.jp/articles/-/844231?page=2

 

 

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鍵山優真 父親まとめ

鍵山優真選手の父親はオリンピアンのパパチこと鍵山正和さん。

フィギュア王国愛知でスケートの研鑽に励み、現役時期に全日本フィギュアスケート選手権で連続優勝、オリンピックに二度出場など男子フィギュアスケート界をけん引してきた人物の一人です。

現役引退後プロへ転向し、その後インストラクターを経て現在は鍵山優真選手のコーチです。

脳出血で倒れられ、病床から復活後もリンクわきで息子の優真選手をコーチとして指導しながら見守り続けます。 

まさに「父子鷹」が北京オリンピックでメダルを掴みとって欲しいですね!

宇野昌磨選手のイケメンコーチ、ランビエールについてはこちらで紹介しています。

ネイサンチェン選手についてはこちらで紹介しています。

 

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