坂本勇人、母に捧げたホームランと母の命日直訴のヒット!

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読売巨人軍の坂本勇人選手は母親を早くに亡くしています。1軍で活躍する坂本選手の姿をみることなく母親は逝ってしまいました。が、亡くなる1か月前に坂本選手が招待した2軍での試合で、ホームランを打ったとのエピソード話があります。どんなエピソードだったのでしょうか?

今年(2020年)コロナウィルスに感染してしまった坂本選手がスタメンを直訴した日は、お母さんの命日でした。スタメンを直訴した彼の気持ちとは?

今回は「坂本勇人、母に捧げたホームランと母の命日直訴のヒット!」と題して紹介します。

坂本勇人選手は母子家庭?

坂本選手の出身地は兵庫県の伊丹市です。坂本選手は少年時代、伊丹市軟式少年野球連盟に加盟している「昆陽里(こやのさと)タイガース」で野球を始めました。

母親はこの少年野球チームの会計係を担当したり、少年たちを送迎するためにワンボックスカーを運転したりしてチームの運営に大きく関りを持ちチームのために力を注いでいました!

そんな素晴らしい坂本選手の母親は坂本選手が幼い時に離婚しています。

離婚の詳細はわかりませんが父親の仕事が忙しかったことが原因ではないかといわれています。

当時父親は、アメリカに牧場を持ちファミリーレストランなどに食肉を卸す仕事をしていました。

仕事柄日本にいることの少なかった父親だったため、そのことが離婚につながったようです。

離婚したことで母親は子供のために一生懸命だったのでしょうね。

坂本選手は昆陽里タイガース時代は投手でした。同じチームに現在大リーグのニューヨークヤンキースで活躍している田中将大投手がいたという話は有名ですね。田中将大選手は、昆陽里タイガース時代はキャッチャーだったのです。

日本を代表する打者とピッチャーが同級生で同じ少年野球チームにいたなんてすごいです!

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坂本勇人の兄弟は?

坂本勇人選手は3人兄弟の次男です。兄は6歳年上で「勇太」といいます。兄も野球をやっていてその影響で坂本勇人選手も野球を始めたのだそうです。

兄の勇太さんは既に結婚され現在は、特に野球との関りもないようです。

弟は3歳年下で「勇斗」といいます。いろいろと調べましたが勇斗さんが野球をしていたとの情報はありませんでしたがおそらく兄2人の影響で野球をしていたでしょうね。

勇斗さんの職業について確定はしませんが坂本勇人選手のマネージャーをしてるのではとの噂があります。

なぜそのような噂が出たのかというと2016年1月に勇斗さんが坂本勇人選手のグァムでの自主トレに帯同し一緒にトレーニングやサポートをしていたことがあったからです。

自主トレは1ヶ月近くするため会社勤めしていては到底できないことなので坂本勇人選手の個人マネージャーではないかとの噂となりました。

3兄弟の名前をみて気づいた人もいると思いますが皆「勇」がついています。これは、父親が元総理大臣の「池田勇人」にあやかり勇の一字をつけたのだそうです。

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坂本勇人が母親からもらった贈り物とは?

坂本勇人選手が母親からもらった最大の贈り物は丈夫な身体と天性の運動神経の良さ、野球センスの良さでしょう。

もちろん坂本勇人選手の努力なくして今の活躍はないでしょうが、基礎は丈夫な身体とセンスではないでしょうか。

坂本勇人選手はもともとは左利きだったようですが右利きにしたのは母親のようです。

野球を始めたばかりの坂本勇人選手に母親は兄が使っていた右利きのグローブを渡しています。

母親はグローブを渡してから数日して坂本勇人選手が左利きだったことに気づきますが既に坂本選手は右利き用グラブで練習し右投げしていたそうです。

その後、小学生時代に左右打ちを練習していますが左打ちでうまく打てなかった時、母親から「左がダメなら右で打ったら」とアドバイスを受けたようです。

その結果、右打ちの方が断然飛距離ものび、結局右打ちに専念し今の坂本勇人選手が築かれていったのです。

母親のアドバイスも大きな贈り物になったようで坂本勇人選手は後に「母親のアドバイスがなかったら今の僕はなかったかもしれない」と言っています。

今の坂本選手があるのはアドバイスと最初に右利き用のグローブを贈った母親がいたからでしょう。

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坂本勇人はドラフトはずれ1位!

今ではセリーグを代表する選手にまで躍進した坂本選手はなんとドラフトのはずれ1位だったのです。2006年の高校生ドラフト会議で読売巨人軍は堂上直倫選手のはずれ1位で坂本勇人選手を指名しました。

契約金は8000万円、年俸650万円での契約でた。

背番号は「61」でした。61にした由来ですが6は2006年の6で、1は高校生ドラフト1位の1で「61」に決まりました。

坂本勇人の母親はガンだった!

坂本勇人選手の母親は離婚を経験し、幼い3人の子供を育ててこられ相当苦労されたことは間違いなく、坂本選手がプロの選手になってくれたことはこの上ない喜びだったでしょう。

ところが喜びは束の間、母親にまたしても悲運が待ち受けていました。なんと小腸にガンが見つかったのです。

一生懸命育てて野球をさせて坂本勇人選手が遂にプロ野球のドラフトに指名されたのが2006年ですが、入団1年目の6月19日に母親は亡くなりました。

まだ47歳の若さでした。

坂本勇人が母に捧げたホームラン!

坂本選手には母親の容態があまりよくないことが判っていました。

ドラフト1位の指名を受けてもまだ間もない頃、坂本選手は巨人軍の2軍の試合に母親を招待しています。2軍の試合でしたが母親にユニホーム姿を見せたかったのでしょう。

母親の小腸ガンも進行していて今度いつユニホームが見せられるかわからない状況でした。

その試合の第一打席で坂本勇人選手は見事にレフトスタンドにホームランを打ち抜きました。

観戦していた母親は涙を流して大喜びをしたそうです。

母親を招待した試合でホームランを打つなんて坂本選手の勝負強い原点はこの試合だったのかもしれませんね!

結局母親はこの試合の1ヶ月後、2007年6月19日に亡くなっています。母親の試合観戦はたったこの1試合だけだったそうです。ホームランを見せることができて坂本選手にとってこの試合は忘れられない貴重なものになっているはずです。

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坂本勇人が母親の命日にすること!

坂本勇人選手は母親の命日である6月19日に試合で必ずすることがあります。

それは、G2の「LETTER~おかんに贈る音の手紙~」を登場曲にしてバッターボックスに立つのです。

坂本勇人選手の母親に対する特別な思いを感じますね。

坂本勇人のスタメン直訴のヒット!

新型コロナウイルスの影響で2020年のプロ野球の開幕は当初の予定から大幅に遅れ6月19日でした。

6月19日といえば坂本選手の母親の命日です。

坂本選手は開幕直前に新型コロナウイルスに感染し練習試合を欠場していたため開幕試合の出場が危ぶまれていました。

坂本選手は開幕ギリギリまで出場が危ぶまれていましたが、球場入りしてスタメンを直訴しています。やはり母親の命日にあたる試合だったことが大きな理由ではないでしょうか。

原監督も心技体の中の「心」が強かったと語っています。母親の命日に出場してヒットを打つという強い心が坂本選手にはあったのでしょう。

2番・遊撃手としてスタメンした坂本勇人選手はみごと7回にヒットを打ち2000本安打まであと115本としました。

母親の命日に直訴出場しみごとな左前打で結果を出しました!

坂本選手は11月8日、遂に2000本安打を達成しますが、亡くなったお母さんが坂本選手の心の支えだったことはまちがいないでしょう。

 

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坂本勇人、母に捧げたホームランと母の命日直訴のヒット!まとめ

坂本選手は母親の命日の試合だけをみてみると打率は4割を超えています。

母子家庭という決して恵まれていなかった環境でも一途に応援してくれる母親がいたからこそ今の坂本選手がいるのでしょう!

今回は「坂本勇人、母に捧げたホームランと母の命日直訴のヒット!」と題して紹介しました。